あなたはガッチン達を助けにいけますか?
「漫画 君たちはどう生きるか」は2017年に発売されて話題となり、売上210万部を超える大ベストセラーです。原作は1937年に吉野源三郎さんが執筆した同名小説になります。池上彰、齋藤孝、糸井重里など多くの著名人が影響を受けた作品です。
私は表紙の主人公・コペル君の目力に惹かれて購入しました。前を見据えて良い表情をしています。
人として正しく生きることの難しさ、大切さを教えてくれる作品です。久しぶりに読んでみて、思うところがあったので感想記事を書いていきます。
あなたはガッチン達を助けにいけるか?
物語の後半にコペル君(中学2年生)の友達であるガッチン達が、上級生にいちゃもん(上級生の作った雪だるまを壊してしまう)をつけられて、殴られてしまうシーンがあります。この時コペル君は上級生が怖くて、殴られるガッチン達を助けにいくことができません。大事な約束(ガッチンを守る)を破り友達を裏切ったコペル君は、自分だけが助かったことを恥じて後悔します。
もしあなたがコペル君の立場だったら、ガッチン達を助けに行くことができたでしょうか。自分が傷つくことを恐れずに、友達を助けにいくことはできたでしょうか。
上級生に殴られているガッチン達を助けにいくか迷う場面は、抽象化すると様々な場面に当てはめられます。
ガッチン達が暴力を振るわれる→(自分から見て)間違っていること
ガッチン達を助ける→自分の良心に従った正しい行い
上記のように考えると、自分より地位の高い人間が行う間違った行為を、良心に従い正すことができるかということになります。
往々にして力のある者によって、間違った行為が正当化されることはあります。上級生達もガッチン達への暴力を、学校の規律を守るためと正当化しています。
同様のことはいろいろな場面であると思います。例えば、クラスの人気者が気にくわないクラスメイトを仲間外れにしたり、上司が嫌がる部下に無理矢理宴会芸をやらせたり、店長が体調を崩して休んでいる店員に出勤を促したりするなどです。
クラスの雰囲気を良くするため、場を盛り上げるため、お店を営業するためと、それぞれに彼らにとっての正当性はありますが、多くの人にとっては間違った行為ととらえられるでしょう。同じような場面に遭遇して、あなたは間違った行為を正すことができるでしょうか。
私は正直、自信がありません。周りの空気に流されて同調してしまったり、関わるのが嫌で見て見ぬふりをしたりしてしまうかもしれません。正しいことを行うには勇気がいります。次は自分が標的にされてしまうかもという恐怖と戦わないといけません。
正しいことを行うのは難しいです。
後悔して苦しむのは、正しい道を歩こうとしているから
友達を助けることができなかったコペル君は、自分を卑怯者だと恥じて、逃げたことを後悔します。私達も自分の良心を裏切ったときは、大いに後悔すると思います。
なぜ助けることができなかったのか。
なぜ無視をして、知らないふりをしたのか。
なぜ逃げてしまったのか。
後悔して、苦しむでしょう。
しかし、後悔して苦しむことは悪いことではありません。後悔して苦しむのは、自分に良心があるからです。正しい行いをして、正しい道を歩いて生きたいと思うからです。
人間である限り、過ちは誰にだってある。そして、良心がしびれてしまわない以上、過ちを犯したという意識は、僕たちに苦しい思いをなめさせずにはいない。
しかし、コペル君、お互いに、この苦しい思いの中から、いつも新たな自信を汲み出してゆこうではないか、――正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめるのだと。・・・「漫画 君たちはどう生きるか」より
良心があるから、正しい道を歩もうとするから苦しむのです。苦しいからこそ、良心に従って正しい行いをしようと思えます。後悔して、苦しんだ分だけ、正しい行いができるようになります。
痛みと苦しみを知っているから、人は人に優しくなれます。痛み、苦しみをきちんと受け止めて、正しい道を歩み続ける努力をしていきたいです。いつか自分が納得できる正しい行いができるはずです。
まとめ
今はガッチン達を助けることはできないかもしれません。助けられなかったことに、後悔して苦しむでしょう。でも後悔して苦しんだら、次はガッチン達を助ける勇気がもてるはずです。ガッチン達を助けにいきましょう。