『なめらかな世界と、その敵』は表題作を含む全6篇のSF短編が収録されています。バラエティーに富んだ短編たちは、どれも切り口が斬新だったので楽しく読みことができました。
私が特に良かったと思ったのは、書下ろし作品の『ひかりより速く、ゆるやかに』です。現代で突如発生した超常現象に対して、人々がどう動くのかがリアルに描かれていました。このお話は青春物語でもあって、一番頭に入ってきやすかったです。SF作品が苦手という方でも、読みやすい内容になっていると思います。
その他、全6篇の短編の感想を書いていきます。
なめらかな世界と、その敵
並行世界に自由に行き来できる少女のお話です。
この世界の住人は、例えば3年前に友達が転校して、転校してしまった世界の友達とは会うことはなくなったけど、転校していない世界の友達とは変わらず仲良くやっていたり、別の世界ではその友達と別の関わり方ができてしまいます。自分にとって都合の良い現実を選び続けることができるのです。
設定がややこしいのと、世界観の説明がされずに物語が始まるので、最初に読むとかなり頭が混乱すると思います。2度、3度繰り返し読むことで、より物語を楽しむことができる作品です。
設定はややこしいですが、物語の根幹にあるのは少女同士の友情なので、そこに注目すると読みやすいと思います。
ゼロ年代の臨界点
日本の架空SF史を描いた作品。もの凄くそれっぽく書かれているので、本当にあった出来事かと勘違いしてしまいます。私は登場人物の名前を検索して、実在しない人物、出来事なんだと初めて気づきました。こういう作品の作り方もあるのかと驚いた作品です。
美亜羽へ贈る拳銃
伊藤計劃『ハーモニー』のトリビュート作品。『ハーモニー』の世界と直接的な繋がりはないのですが、内容は地続きになっていると思います。
性格や感情を技術によって自在に変えられるようになったら、自分の悩みなんて簡単に消えてしまいそうだと思いますが、性格を変えた後の自分は果たして自分なのでしょうか。自分は自分が変わったことに気づかないかもしれませんが、他人から見たら、まったくの別人に見えるかもしれません。
自我とか人格とは何かを考えさせられました。他人の言動やニュースに踊らされる私達の自我は、思っている以上に曖昧でもろいものなのかもしれません。
ホーリーアイアンメイデン
妹から姉への手紙という形で物語が進んでいきます。妹から姉への思いは、どこか皮肉めいた言葉で綴られていました。
形は違えどテーマは『美亜羽へ贈る拳銃』と似ているかもしれません。手紙の中には自分が自分でなくなること、他人が自分の知っている他人ではなくなることの恐怖が書かれています。
もし世界中の人間が平和を愛し、隣人を愛し、欲望なんて一切ない聖人になれば、世界は平和でいられるかもしれませんが、その世界は楽しいと言えるのでしょうか。もしそういう世界ができたら、人間は人間と言えなくなるのかもしれません。
シンギュラリティ・ソヴィエト
ソビエトが崩壊せず、ソビエトの開発したAIが技術的特異点を突破した世界線のお話。人知を超えたソビエトのAI「ヴォジャーノイ」とアメリカのAI「リンカーン」との対決は、さながらジョジョのスタンド対決のようなハラハラ感がありました。
6つの短編の中で一番スケールが大きく、エンターテイメントな作品です。事態が刻一刻と変化していく先の読めない展開にページをめくるのを止められませんでした。
ひかりより速く、ゆるやかに
修学旅行から帰りの生徒達を乗せた「新幹線のぞみ123号」で原因不明の現象が発生して、新幹線内の速度が二千六百万分の一になってしまいます。その結果、のぞみが次の停車駅名古屋に到着するのは、2700年後の西暦4700年頃になるというお話です。
インフルエンザで就学旅行へ行けなかった主人公・伏暮速希(ふしぐれはやき)の青春物語でもある本作は、6作品の中で一番口あたりの良い内容でした。ヤンキー女子・薙原叉莉(なぎはらさり)との出会い、新幹線に取り残されてしまった幼馴染である檎穣天乃(きんじょうあまの)のことなど作中で速希の思いが色々と語られていきます。
超常現象を前にすると、私達現代人ができることは限られてくるのかもしれません。責任のなすりつけ、ことなかれ主義の政治家、大きな声を上げる被害者の家族たち、事故を揶揄する作品の誕生など、人間のリアルな動き描かれていました。
最後に
科学の臨界点、超常現象を前にしても、人間はあくまで人間というのは6篇全てで言えることではないかと思います。どの作品の登場人物たちも人間臭く、親近感がわきました。SF特有のとっつきにくさもありますが、この人間臭さがあるおかげで、物語に入り込みやすいです。
どの作品も1癖、2癖もあり、あきさせない内容となっております。是非、興味のある方は手に取ってみてください!