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百田尚樹「フォルトゥナの瞳」小説 感想(ネタバレあり)

フォルトゥナの瞳

自分の幸せではなく、他人の幸せを願った男の生き様

2月15日に神木隆之介主演で映画化される「フォルトゥナの瞳」の原作本を読みました。私にとって、百田さんの作品は「永遠の0」「カエルの楽園」に続いて3作品目になります。
「他人の死の運命」を視る力を持った男の物語です。

ネタバレありで感想を書いていきますので、未読の方はご注意ください。

あらすじ

幼い頃に家族を火事で失い天涯孤独の身となった木山慎一郎は友人も恋人もなく、自動車塗装(コーティング)工として黙々と働くだけの日々を送っていた。だが突然「他人の死の運命」を視る力を手に入れ、生活は一変する。

・・・百田尚樹「フォルトゥナの瞳」より

主人公は力を活用して、見ず知らずの人の命を助け、身近な人の運命を変えていく。だが徐々に自分が必要以上の力を手に入れたことに苦悩し始める。そして他人の運命を変えることの代償に、自分の運命が変わってしまうことに気づくのである・・・。

個人の幸せよりも、みんなの幸せ

主人公は物語の最後に大きな決断を迫られます。他人の命を救うために、自分の命を捨てなければならないのです。自分の幸せか他人の幸せか、主人公は2択を迫られ悩み続けます。

最終的に主人公は自分よりも他人を優先します。自分の命を捨てて、他人を救う道を選ぶのです。ここでポイントなのは、彼が救う人々は恋人でも、友人でもなく、彼とは関係の薄い人か、彼にとっては見ず知らずのその他大勢の人達です。

自分を犠牲にして、みんな(世の中)のために生きる主人公の姿は美しくもあり、はかないです。確かに私(ワタクシ)を捨てて、公(オオヤケ)のために生きる姿は、ひとつの人間の理想の生き方であると思います。

ですが主人公がいなくなることによって悲しむ人は大勢います。恋人の葵、長年目をかけてくれた塗装工の社長・遠藤、数少ない話し相手だったパートの美津子、主人公の塗装の腕を信じて車を預けてくれるお客様達。主人公と繋がりのある人達は、彼が亡くなったら悲しむでしょう。主人公の決断は美しくもあり、悲しいものでした。

人生は選択の連続

「フォルトゥナの瞳」では最後の選択以外にも、主人公は何度も選択をして、その都度悩んでいます。主人公の考え方がネガティブで終始ウジウジしているので、主人公の心理描写が少々クドく感じました。

作中で人間は1日9000回も選択をしていると書かれているように、実際の人間の思考を、何度も主人公に苦悩させることで表現したかったのだと思います。自分も同じようにウジウジ悩んでしまうことは、多々あるなと共感もしました。

なんとなく結末を予測できた人にとっては、長々とした主人公の心理描写は冗長に感じられるかもしれません。

最後に

もし作中で主人公が恋人に相談をしていたら、運命は変わっていたかもしれません。でも主人公は絶対に恋人を危険な目に合せることはしないでしょう。過酷な運命を背負わせることもしません。恋人を愛するが故に、自分の不幸を背負わせたくないという姿は格好良くもあり、残酷です。

でも主人公の不器用な生き様に、大和魂というか、古き良き日本人のあり方みたいなものを連想しました。「フォルトゥナの瞳」は男の理想の生き方を描きたかったのかもしれません。

フォルトゥナの瞳
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