映画『呪術廻戦0』を見に行ってから時間が経ってしまったのですが、映画を観た感想を述べていきたいと思います。
まず率直に映画の出来は素晴らしいもので、劇場で見て良かったと心から思えるものでした。アクションシーンでは、キャラクターが画面を縦横無尽に動き回っていたので迫力がありました。スタイリッシュな劇中音楽は印象に残りましたし、「King Gnu」が歌うエンディングテーマも作品に合っていて良かったです。
また、原作ファンが楽しめる要素が散りばめられていました。京都校メンバーの登場、七海や冥冥の戦闘シーンが描かれたのは嬉しかったです。原作のストーリーに繋がるエピソードが最後に描かれていて、テンションが上がりました。
ただ、作品を見て気になるところがあって、それは『呪術廻戦0』が『新世紀エヴァンゲリオン』を彷彿とさせたことです。主人公の乙骨役を緒方恵美さんが演じていたので、どうしても乙骨とシンジを結びつけてしまいました。映画を見ていて、「エヴァじゃん(笑)」と思ったシーンが何か所かあります。
『エヴァ』っぽいと思う一方で、この映画は『エヴァ』の呪縛(作品に執着してしまうこと)の解き方が描かれていると思いました。そのことについて、この記事で述べていきます。ネタバレもあるのでご注意ください。
基本情報
『呪術廻戦0』は現在「週刊少年ジャンプ」で連載中の『呪術廻戦』の前日譚にあたる物語で、『呪術廻戦』の1年前の出来事を描いた作品です。原作の『東京都立呪術高等専門学校』は『ジャンプGIGA』で全4話が連載されました。こちらは後に『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』というタイトルで単行本化されています。著者の芥見下々先生にとっては初の連載作品です。
映画の制作は、アニメの時と同じく「MAPPA」が担当しました。今回初の映画化にあたり、主人公・乙骨憂太の声を緒方恵美さん、ヒロイン・祈本里香の声を花澤香菜さんが演じています。
『呪術廻戦0』の『エヴァ』っぽいところ
まず、五条先生が呪術高専の上層部と乙骨の処遇を話しているシーン。障子の後ろに隠れた上層部の面々が五条の周りを囲んでいる様子は、碇ゲンドウがゼーレと対面しているときの様子とソックリでした。今から人類補完計画が始まるんじゃないかとドキドキしました。
1番『エヴァ』っぽいと感じるのは、本作の主人公・乙骨憂太と『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジのキャラクターが似ているところです。ぱっと見の大人しそうな外見はもちろん、声が同じということもあって、乙骨とシンジを重ね合わせた方は多いのではないでしょうか。乙骨シンジなる言葉もツイッターで見られました。
呪いになった里香と暴走するエヴァンゲリオンという自身ではコントロールできないものに振り回されて、相手を、自分を傷つけていく姿も重なります。里香は乙骨が子供の頃に愛した女の子、エヴァはシンジの母親(エヴァの中に碇ユイの魂があると思われる)と考えると、愛する人に守られているという構図も同じです。それぞれの関係を見ると、乙骨にシンジを重ねてみてしまうのは無理もありません。
乙骨とシンジの言い回しが似ているというところも大きかったです。声が同じなので仕方ないのですが、明らかにシンジを意識しているのでは?という箇所がありました。
乙骨が「死んじゃダメだ」というセリフを何回か言うシーンがあるのですが、その言い方がシンジの「逃げちゃダメだ」にそっくりだったのです。そのシーンを見て思わず笑いそうになってしまいました。シンジっぽく演じてくださいと台本に書いてあるレベルにそっくりだったからです。(さすがに書いてないと思いますが…)
外見、声、境遇など乙骨とシンジに似た要素が多数あったので、『呪術廻戦0』は『エヴァ』っぽいと感じたんだと思います。特に声の部分は、シンジと緒方さんのシンクロ率が高すぎるというのも一因かなと思いました。
『エヴァ』の呪縛を解くために
ここからは完全に私の妄想なので、冗談だと思って読んでいただけたら幸いです。ネタバレも含みますのでご注意ください!
乙骨がクライマックスで里香に対して愛の告白をするのですが、そこには『エヴァ』の呪縛を乗り越えるヒントがあると思います。ここで言う『エヴァ』の呪縛は『新劇場版』の作中で語られた言葉ではなく、『エヴァ』という作品に心を囚われてしまうという意味で使わせていただきます。
『旧劇場版』公開時に、『エヴァ』に心を囚われた方はたくさんいました。謎を残して終了したテレビ版の続きが観られると期待していたファンは、映画の結末に衝撃を受けたと思います。私も友達に誘われて『エヴァ』を観に行ったのですが、意味がわからなさすぎて呆然としました。
『旧劇場版』を見終わった後、『エヴァ』から離れた人、映画の内容を批判する人、「こうだったら良かったのに」と理想の『エヴァ』を追い求める人など、ファンは様々な反応をしました。その中には、期待を裏切られた反動で『エヴァ』のアンチとなった方もいます。
作品を愛するがゆえに自分の理想と違うものに対して、拒否反応が出てしまったのだと思います。愛が強ければ強いほど、裏切られたときのダメージは大きいのではないでしょうか。『新劇場版』でも結末に納得していない方はチラホラいました。
これは『エヴァ』だけではなく他の作品に対しても言えることで、作品のファンだった人が作品の新しい展開を受け入れらずに、作品を批判するアンチに変わってしまうことがあります。私はそういう人を何人も見てきました。
「愛ほど歪んだ呪いはないよ」五条先生のセリフのとおり、作品を愛することは同時に作品を呪うことなのかもしれません。作品に呪縛されてしまった人は、呪いの言葉を吐き続けてしまいます。かつて愛した作品を傷つける言動はとても悲しいものです。
では、どうしたら作品を呪うことなく、呪縛を解けるのでしょうか。そのヒントが、乙骨の里香への告白に隠されていると思います。
作品のクライマックスで、乙骨は呪いとなり姿形の変わった里香を受け入れて、愛の告白をします。そのことによって、里香の呪いは解けて、里香は成仏しました。
ここでの乙骨の言葉「純愛」を貫くことが、呪縛を解くことに繋がると思います。自分の理想からかけ離れてしまっても、今までとは別物になったとしても、作品のあるがままの姿を受け入れて愛することができれば呪いは生まれません。
監督が変わっても、声優が変わっても、キャラクターの容姿が変わっても、作品を愛し続けるこは本当に難しいと思います。ですが、それはそれ、これはこれとして作品と向き合えれば、アンチにはならず作品を楽しむことができるのではないでしょうか。
あるがままを受け入れて、「純愛」を貫き通す。とても難しいことかもしれませんが、これが出来れば『エヴァ』の呪縛を解くことができるはずです。呪いの言葉を吐く前に、もう一度作品に向き合ってみましょう。
最後に
乙骨がケバブを頬張るシーンがあるのですが、そのときの乙骨の表情や仕草こそが乙骨の本来のものなのかなと思いました。里香の呪いが解けて憑き物が落ちた様子でした。
作品のアンチになり、作品を呪い続けることは健全とは言えません。もし今も何かに呪縛されている状態なのであれば、その対象をありのまま受け入れてみてください。また別の形でも愛することができれば、呪いで覆われた心が晴れて、爽やかな気持ちになると思います。